新くまもと百景  |
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県北 | ||
1 | 宮崎兄弟生家(荒尾市) | コメント準備中 |
2 | 高瀬裏川公園(玉名市) | コメント準備中 |
3 | 八千代座と豊前街道まちなみ(山鹿市) | 八千代座は江戸期の伝統を受け継ぐ本格的な芝居小屋の一つで明治43年に完成した。昭和に入り一時廃屋同然となり存続の危機を迎える。これに立ち上がったのが山鹿の老人会。多くの思い出をもつ八千代座を残そうと「瓦一枚運動」で募金を募り5万枚の屋根瓦を修復。このことが報道されるや市民の復興運動は一気に盛り上がる。やがて昭和63年に国指定重要文化財に指定さ
れ、以後全国にその名を知られることになる。平成8年から「100年に1度の大改修」に取りかかり平成13年5月“平成のこけら落とし”を迎えた。 八千代座通りはかつての豊前街道の面影をしのばせる白壁土蔵造りの家並みが見られる。狭い路地は観光客でかつてのにぎわいを見せている。 |
4 | 不動岩(山鹿市) | コメント準備中 |
5 | 菊池渓谷(菊池市) | コメント準備中 |
6 | 新塘の松林と金魚と鯉の郷(玉名郡・長洲町) | 長洲町は奈良県大和郡山市、愛知県弥富町とならび「金魚の日本三大産地」のひとつだ。肥後細川藩の頃から金魚の飼育が始まったとされており、全国でも歴史ある金魚の町だ。 そんな金魚と鯉をテーマにして「金魚と鯉の郷広場」がオープンしたのは平成七年の春。 日本で唯一の金魚の水族館「金魚の館」を中心として公園、広い池と、広場、多目的グラウンド等家族連れで賑わう。 ここの公園と日立造船有明工場の間の道が新塘(しんども)だ。 江戸初期に作られた堤防で、かつての海岸線の跡がここにある。道端の松林は防風林としてその役割を果たしてきたのだろう。 |
7 | げんやま展望公園(玉名郡・天水町) | 県道1号線を天水町に入りループ橋際にあるのが実山(げんやま)だ。標高198mの小高い山はきれいに整備され展望公園となった。有明海が一望でき、宇土半島、島原や佐賀地方まで見渡せる。芝生広場や子ども広場のアスレチック遊具、トイレなども整備されている。季節には桜やアジサイも楽しめる。 |
8 | 吉次峠(玉名郡・玉東町) | 田原坂と並ぶ西南戦争の激戦地、標高250mの峠。攻め込む官軍と高みからの地の利を得た薩軍のと熾烈な戦いが長く続いた。官軍はいつしか地獄峠と呼んだ。今は激戦地後は公園になり付近はみかん畑ののどかな風景になっている。 |
9 | 江田船山古墳群と古墳祭り(玉名郡・菊水町) | コメント準備中 |
10 | 大津山(玉名郡・南関町) | コメント準備中 |
11 | 田中城址と戦国肥後国衆まつり(玉名郡・三加和町) | コメント準備中 |
12 | 岳間渓谷(鹿本郡・鹿北町) | コメント準備中 |
13 | 番所の家並みと彼岸花(鹿本郡・菊鹿町) | コメント準備中 |
14 | 岩原古墳群と県立装飾古墳館(鹿本郡・鹿央町) | コメント準備中 |
15 | 西南の役古戦場・田原坂(鹿本郡・植木町) | 雨は降る降る、じんばはぬれる 越すに越されぬ田原坂 西南戦争最大の激戦地・田原坂は全国にその名を知られている。 明治10年(1877)3月の激戦は17日間にも及んだ。現在は公園として整備され、慰霊塔や馬上の美少年像、資料館などがある。 桜の名所としてもよく知られるところだ。 |
16 | 弁天山(菊池郡・西合志町) | コメント準備中 |
17 | カントリーパークと植木祭り(菊池郡・合志町) | コメント準備中 |
18 | 竹迫城跡公園 (菊池郡・合志町) |
竹迫城は鎌倉幕府の地頭職として下った中原師員が十二世紀後半に築いたとされる中世の城。 跡地は自然の地形を行かした公園として整備されている。広大な園内には芝生広場、竹植物園、小川もあり 公園の横を流れる東谷川では、毎年夏になるとホタルの乱舞が見られるという。 |
19 | 大津街道杉並木(菊池郡・菊陽町) | 大津街道は熊本と大分を結ぶ豊後街道の一部。旧国道57号(現県道337号)の熊本市龍田町から菊陽町にかけてJR豊肥本線と県道をはさんで杉の老大木が並ぶ。 約四百年前に加藤清正が軍用道路として整備したとされる。 |
20 | 鞍岳と四季の里・旭志(菊池郡・旭志村) | コメント準備中 |
21 | 瀬田裏峠からの熊本平野の眺望 (菊池郡・大津町) | コメント準備中 |
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22 | 熊本城(熊本市) | コメント準備中 |
23 | 江津湖と水前寺の四季(熊本市) | コメント準備中 |
24 | くまもと春の植木市(熊本市) | 熊本の植木市は山形市、大阪市のと並ぶ日本三大植木市だ。 他のが4、5月開催なのに対し、ここ熊本は2月〜3月と一足早く「熊本に春の訪れを告げる」と表現される所以だ。 四百数十年前、時の隈本城主、城親賢公が京都の楽市にならい産業の振興をはかったのが始まりとされる。 期間中は50万人もの人が訪れ毎年これを楽しみにしている根強いファンも多い。 まさに熊本における早春の風物詩なのだ。 |
25 | わらべ唄のふるさと・せんば界隈(熊本市) | あんたがたどこさ肥後さ/肥後どこさ熊本さ/熊本どこさ船場さ〜 の手まり唄にでてくる船場。せんば山は付近には見あたらないが1説によると山というより小高い土手程度のもので河川の改修で姿を消したらしい。船場川ならぬ坪井川にかかる橋が「船場橋」。市内のほぼ中心部交通センターから中央郵便局に行く途中にある。欄干には、エビとタヌキをかたどった橋柱灯がある。 付近のバス停、電停は「洗馬橋」と表記されている。 「船場」の由来はかつて船着場だったといわれている。それ以前は「洗馬」だったのだろうか。周辺には、今も老舗(しにせ)の菓子屋、旅館などが軒を並べる。 |
26 | 川尻精霊流しと酒蔵通り(熊本市) | コメント準備中 |
27 | 三宮神社と国際民藝館(熊本市) | コメント準備中 |
28 | 御輿来海岸の干潟模様(宇土市) | コメント準備中 |
29 | 吉無田高原(上益城郡・御船町) | コメント準備中 |
30 | 嘉島の湧水群(上益城郡・嘉島町) | 水の豊富なことで知られる嘉島町には十数ヶ所の湧水池が点在する。その中心にあり町のシンボルともいえるのが浮島だ。熊野座神社とそのまわりの木々がまるで池に浮いているように見えることから、この神社および周辺は「浮島さん」として親しまれている。浮島周辺水辺公園としてきれいに整備されていて、休日ともなればつり人をはじめ多くの人が訪れる。 |
31 | 津志田河川自然公園(上益城郡・甲佐町) | コメント準備中 |
32 | 通潤橋と八朔祭(上益城郡・矢部町) | コメント準備中 |
33 | 鵜の子滝周辺(上益城郡・矢部町) | コメント準備中 |
34 | 緑仙峡(上益城郡・清和村) | コメント準備中 |
35 | 清和文楽邑(上益城郡・清和村) | コメント準備中 |
36 | 塚原古墳公園(下益城郡・城南町) | コメント準備中 |
37 | 舞鴫文殊堂と舞鴫集落(下益城郡・小川町) | 真っ赤な灯ろうの立つ急こう配の参道は別名「願掛け夢御坂」。参道の両わきは農家の「武者返し」の石垣が階段状に続き、百メートルほどで”西の太宰府”と呼ばれるお堂が見えてくる。「文殊の知恵」の御利益を求めて、県外からも多くの受験生らが参拝に訪れる。 −−熊本日日新聞−− |
38 | 日本一の石段と釈迦院(下益城郡・中央町/八代郡・泉村) | コメント準備中 |
39 | 霊台橋と緑川ダム(下益城郡・砥用町) | コメント準備中 |
40 | 三角西港(宇土郡・三角町) | コメント準備中 |
41 | 松合白壁土蔵の街並み(宇土郡・不知火町) | 1999年、台風18号の高潮被害で12名の死者がでたことで知られる不知火町松合。江戸から明治にかけて漁業と醸造の町として栄えた松合は、時を同じくして度々大火に見舞われた。その中で白壁土蔵造りは焼失を免れた。明治30年代末までに集落のほとんどがこの建築に変わり、現存する60棟あまりが昔の面影を残している。保存会のメンバーによる活動も進められている。 |
県南 | 上に戻る ↑ | |
42 | 八代城跡と松浜軒(八代市) | コメント準備中 |
43 | 万葉史跡・水島(八代市) | コメント準備中 |
44 | 湯の児温泉と不知火海(水俣市) | コメント準備中 |
45 | 立神峡(八代郡・宮原町) | 立神峡は、氷川が古生代の石灰岩を浸食してつくった高さ75m、幅250mの大岩壁。 五木五家荘県立自然公園地域に指定されキャンプ場や宿泊施設もある。夏場は手軽に自然に親しむことのできる場所として人気が高く、水遊び、魚釣りなどの家族連れでにぎわう。 |
46 | 石匠館と石橋群(八代郡・東陽村) | 「石匠館」は平成6年7月に石工の里歴史資料館として完成した。日本でも珍しい石橋文化の資料館だ。建物は地元でとれる凝灰岩の壁面と丸太を組んだアーチ型の丸屋根。 かつて種山村だったころ全国にその名をとどろかせた石工の集団があった。彼らは「種山石工」と呼ばれた。館内ではそんな歴史もたどることができる。 東陽村内には22の石橋が現存し、案内板も充実して容易に石橋めぐりができるように工夫されている。 |
47 | 矢山岳(八代郡・泉村) | コメント準備中 |
48 | 御立岬公園(芦北郡・田浦町) | コメント準備中 |
49 | 不知火海の打たせ船(芦北郡・芦北町) | コメント準備中 |
50 | 彫刻のある街並みと重盤岩(芦北郡・津奈木町) | コメント準備中 |
阿蘇 | 上に戻る ↑ | |
51 | 阿蘇の火まつり(阿蘇郡一帯) | コメント準備中 |
52 | 大観峰(阿蘇郡・阿蘇町) | コメント準備中 |
53 | 二重峠の石畳(阿蘇郡・阿蘇町) | コメント準備中 |
54 | 産神社鎮守の杜と眼鏡橋(阿蘇郡・阿蘇町) | コメント準備中 |
55 | 阿蘇神社(阿蘇郡・一の宮町) | コメント準備中 |
56 | 仙酔峡とアゼリア21(阿蘇郡・一の宮町) | コメント準備中 |
57 | 瀬の本高原(阿蘇郡・南小国町 | コメント準備中 |
58 | 押戸石の丘(阿蘇郡・南小国町) | コメント準備中 |
59 | 坂本善三美術館と鉾納社(阿蘇郡・小国町) | コメント準備中 |
60 | うぶやま牧場と九重連山(阿蘇郡・産山村) | コメント準備中 |
61 | 荻岳からの大パノラマ(阿蘇郡・波野村) | コメント準備中 |
62 | 月迴り公園から見た景観(阿蘇郡・高森町) | 投票による第1位に輝いたのがここ。月廻り公園から見えるのは阿蘇五岳のひとつ根子岳。 ここは3カ所の食事処、露天、サウナ付きの温泉館をはじめ、ゴーカートも楽しめる芝生広場、 動物ふれあい広場などもあり家族で楽しめる人気スポットだ。 |
63 | 南阿蘇国民休暇村・高森温泉館から見た根子岳(阿蘇郡・高森町 | コメント準備中 |
64 | 草部吉見神社(日本三大下り宮)(阿蘇郡・高森町) | 奥阿蘇と呼ばれる宮崎県高千穂寄りの場所。高森町草部地区を国道325号から1Kmほど入ると草部吉見神社が見えてくる。鳥居をくぐるとそこには下りの階段が待っている。約130段を下ってところに社殿がある、下り宮と呼ばれる珍しい神社だ。木々がうっそうと茂り静かな神秘的な空間がそこにはある。 鵜戸神社(宮崎県日南市)、貫前神社(群馬県富岡市)も下り宮として知られる。 |
65 | 蘇陽峡とそよ風パーク(阿蘇郡・蘇陽町) | コメント準備中 |
66 | 白川水源と白水温泉『瑠璃』(阿蘇郡・白水村) | コメント準備中 |
67 | 城ケ岳から見た阿蘇五岳(阿蘇郡・白水村) | コメント準備中 |
68 | 阿蘇大橋と数鹿流ケ滝(阿蘇郡・長陽村) | コメント準備中 |
69 | 羅漢山とアスペクタ(阿蘇郡・久木野村) | コメント準備中 |
70 | 俵山からの南阿蘇(久木野村・西原村) | 西原村から久木野村へ抜ける県道28号。熊本市から南阿蘇への抜け道としても知られるが、くねくねとした道を登り切ると南阿蘇の大パノラマがぱっと広がる。 俵山バイパスが現在工事中。平成15年からは旧道での眺めになるのだろう。 |
天草 | 上に戻る ↑ | |
71 | 殉教公園と天草切支丹館(本渡市) | コメント準備中 |
72 | 町山口川と祇園橋(本渡市) | コメント準備中 |
73 | 遠見山展望台からの牛深ハイヤ大橋(牛深市) | コメント準備中 |
74 | 大観山からのパノラマ(天草郡・大矢野町) | 大矢野島から二つの橋を渡って維和島に渡る。島の南東に地図で確認できるのが大観山だ。 ここからだと天草諸島、長崎雲仙までが一望できるのだろう。 |
75 | 天草五橋と松島(天草郡・松島町) | 孤島だった天草諸島が五つの橋で熊本本土と陸続きになったのは昭和41年。森慈秀が熊本県議会で提唱し”夢の架け橋”と失笑されてから30年後のことだ。この区間の国道266号は「天草パールライン」の愛称で親しまれ天草観光の重要なルートとなった。松島は大小三十の島々からなる日本三大松島の一つ。 |
76 | 老岳山頂からの展望(天草郡・有明町) | コメント準備中 |
77 | 白嶽からの眺望(天草郡・姫戸町) | コメント準備中 |
78 | 竜ケ岳山頂と天文台(竜ケ岳町) | コメント準備中 |
79 | 烏峠からの展望(天草郡・御所浦町) | コメント準備中 |
80 | 倉岳と日本一の大えびす像(天草郡・倉岳町) | コメント準備中 |
81 | 楊貴妃伝説残る竜洞山(天草郡・新和町) | コメント準備中 |
82 | 通詞島とイルカウオッチング(天草郡・五和町) | コメント準備中 |
83 | 富岡城跡と巴崎(天草郡・苓北町) | コメント準備中 |
84 | 大江天主堂(天草郡・天草町) | コメント準備中 |
85 | 妙見ケ浦・十三仏公園(天草郡・天草町) | コメント準備中 |
86 | 羊角湾と崎津天主堂(天草郡・河浦町) | コメント準備中 |
87 | 産島・女岳海岸の眺望(天草郡・河浦町) | コメント準備中 |
球磨 | 上に戻る ↑ | |
88 | 人吉城跡(人吉市) | 球磨川のほとりに長い石垣が見えてくる。 霧の都としても知られる人吉。市民の憩いの場、そこが人吉城跡だ。相良藩700年の歴史を今に伝える。 北を球磨川、西を胸川を外堀として東と南とは丘陵に囲まれた自然の要塞で石高の割には大きな城だ。 西洋式の武者返し、水の手門からの人吉市街の眺めなど見どころも多い。城跡は公園化されて春の桜、秋の紅葉も見事だ。 胸川の大手門跡には角櫓(すみろう)、多聞櫓、長塀も復元されている。 |
89 | 鹿目の滝(人吉市) | コメント準備中 |
90 | 球磨川の槍倒しと球泉洞・森林館(球磨郡・球磨村 | コメント準備中 |
91 | 清流川辺川と雨宮神社(球磨郡・相良村) | コメント準備中 |
92 | 子守唄の里と白岩戸白滝(球磨郡・五木村) | 山里の厳しい暮らしから子守奉公に出された娘たちが、親を想いつらい気持ちを口ずさんだのが「五木の子守唄」 だ。子を寝かしつける子守唄ではなく守をする悲しい気持ちを唄った「守子唄」なのだ。山間奥深くの交通不便な五木村、かつてのそんなイメージはすでになくなりつつある。ダム建設を受け入れ、「子守唄の里」として観光立村をめざす五木村。いろいろな思いを秘めそれぞれの人の中に「五木の子守唄」は唄い継がれる。 |
93 | 大平渓谷(球磨郡・錦町) | コメント準備中 |
94 | くま川鉄道とおかどめ幸福駅(球磨郡・免田町) | コメント準備中 |
95 | 白髪岳(球磨郡・上村) | コメント準備中 |
96 | 谷水薬師周辺(球磨郡・上村) | コメント準備中 |
97 | 高山山頂から見た球磨盆地(球磨郡・深田村) | コメント準備中 |
98 | 青蓮寺阿弥陀堂(球磨郡・多良木町) | コメント準備中 |
99 | 城泉寺(球磨郡・湯前町) | コメント準備中 |
100 | 市房山とさくらの里(球磨郡・水上村) | コメント準備中 |
★ あとがき ★ 「ふるさとの景観を二十一世紀に残そう」と、県民に投票を呼び掛けて「新くまもと百景」が決まったのが平成8年4月1日。 以前は地元新聞社のHPに新くまもと百景の紹介ページがあったらしいが今は削除されている。 そのためここを紹介したHPはことごとくリンク切れを起こしている。 そこで新たに独自でつくったのがこのページ。 |
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